Brexitの衝撃(2)賭けと誤算 勝者も凍る

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 日本経済新聞  2016/06/29(水)

 英国の欧州連合(EU)残留の是非を問う国民投票前の最後の週末となった19日。ロンドン中心部のハイドパークで残留派が開いた集会に、意外な人物の姿があった。元欧州議会議員のスタンレー・ジョンソン(75)。離脱派を率いた前ロンドン市長、ボリス・ジョンソン(52)の実父だ。スタンレーは息子とよく似たブロンドをふり乱し、怒りもあらわに叫んだ。「ボリスよ、なぜ今日ここにいないのだ。君に弔意を示したい」

jonson.jpg ジョー・コックス議員の殺害事件などの影響で世論は残留に傾いていた。敗色の濃い息子に父が公然と引導を渡す。異様な親子相克の背景には、ボリス・ジョンソンの生い立ちがある。


 ニューヨークで生まれ、幼少期を父とともにブリュッセルで過ごし、仏独伊と多様な言語を操る。トルコやロシアにもルーツを持つコスモポリタンのジョンソンには、離脱決定後も「本心は残留支持だったのではないか」との疑惑がくすぶる。英メディアはジョンソンが3年前のインタビューで「私は単一市場の支持者だ。国民投票が実現したら、残留に投じる」と答える様子を伝えた。

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 生粋の離脱論者には見えないジョンソンが、なぜ離脱派のリーダーを買って出たのか。浮かんでくるのは、かつての盟友であり、生涯のライバルでもある英首相、デービッド・キャメロン(49)への強烈な対抗心だ。


 ともに裕福な家庭に生まれ、有名私立イートン校、名門オックスフォード大学で学んだジョンソンとキャメロンは保守党を担う逸材と期待されてきた。だが、宰相レースではキャメロンが一歩先んじ、2010年に43歳と戦後最年少にして首相の座を射止めた。ロンドン市長として高い人気を誇っていたジョンソンは、キャメロンを盟友として支えながらも、野心を忘れなかった。一昨年末に出版したチャーチルに関する自著でも「たった1人で歴史と世界を変える力」の重要性を強調し、最高権力への思いを隠そうとはしなかった。


 そんなジョンソンの目に今回の国民投票は権力奪取の好機に映った。たとえ国民投票で負けても、離脱派の保守党内の重鎮たちの信任を確保できれば、次期党首選出の布石になる。当時のジョンソンは「僅差で負けて存在感を高められるのがベストシナリオ」と想定していたフシすらある。


 「私がもっとも望まないことはデイブを敵に回すことだ」。2月21日、ジョンソンはこう釈明しながらも離脱支持を表明。首相の座を狙い、賭けに出た瞬間だった。


 皮肉なのは、最初に権力闘争のために国民投票を利用するという危険なギャンブルに手を染めたのは、キャメロンの方だったことだ。

 若くして首相に就き、後ろ盾のないキャメロンは、保守党内の反EU派幹部らから突き上げられてきた。ナイジェル・ファラージュ(52)が率いる英国独立党の躍進も脅威となり、キャメロンは右腕である財務相のジョージ・オズボーン(45)の猛反対を押し切って13年1月、15年の総選挙で保守党が勝てば国民投票を実施すると公約してしまう。権力基盤を固めるために、国策が賭け金に差し出された。


 「英国は大きな問題から逃げない。だからこそ国民投票を実施したのだ」。24日朝の会見で、キャメロンは国民投票の実施を後悔していないと強弁した。だが、キャンペーンを通じて残留のメリットを説き続けたキャメロンには、自らの賭けの敗北が英国にもたらす打撃の大きさが手に取るように分かっていた。スコットランド独立の住民投票や総選挙など数々の難所を乗り切ってきた「ラッキー・デイブ」は、最後の大勝負で身ぐるみはがれた。

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 その数時間後、もう一人のギャンブラー、ジョンソンが記者会見を開いた。勝利宣言を上げる晴れ舞台に笑顔はなく、キャンペーン中に見せた威勢の良さや軽口も消えていた。凍り付いた表情で「これで英国が分裂するわけではない。英国はこれからも欧州の大国であり続ける」と読み上げるのが精いっぱいだった。


 一世一代の賭けには勝った。だが、欧州合衆国の提唱者チャーチルの崇拝者であるジョンソンは、自らが開いた「パンドラの箱」の闇の深さを誰よりも知っている。この会見のあと、次期首相候補の筆頭に位置するジョンソンは、「離脱後の英国」がたどるべき道筋を口にしていない。

(敬称略)


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